松本市議会議員

あおき 豊子

青木 とよ子  活動日誌

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ひとつぶの種から大切に育てていきます。
青木とよ子の活動報告、日々の想いをつづります。
悲観的でない運命論者
 まるで、同じ日本の中での出来事とは思えない、東北太平洋岸大地震は、多くの尊い命を奪ってしまいました。心よりお悔やみとご冥福をお祈り申し上げます。また、今もなお辛い避難所生活を送られている皆様には、早く日常の生活に戻れますようにできる限りの応援をさせていただきます。たぶん、日本中の誰もが、そう思われていることと思われます。ところで外国の方が見た日本はというと、過酷な事態の中でも、感情をあまり表に出さず、秩序正しく、他人に気遣う、そのような日本人を世界は注目しています。かつて敗戦国から立ち上がり、幾度と震災に見舞われましたが、苦難を乗り越えたそこに日本人がいます。今回のこの自然災害にも、人は自然に使え、一時的に自然に身を委ねているという神道の教えが根づいています。ですからいつまでも悲観的でなく、これも運命として前を向いて生きていく日本人がいます。私は、この国に生まれてほんとに良かった。
  みんなで、はい上がろうニッポン!
2011/03/22
青木 とよ子
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お年寄りの暮らし
今日は、 一般質問の3日目、10時に始まり終わりが7時近くでした。約7時間以上同じ椅子に座り続けたので、さすがに疲れました。
 今回の質問で多かったのは、買い物難民に関することでした。このことは、お年寄りにとりましては生活に直結する不自由さです。先日、昼間に住宅街を歩いていると、軽自動車が細い路地に入ってきました。お年寄りを訪問する介護士の方かなと思いきや、車の看板は豆腐屋さんでした。2回ほど私とすれ違うと、各家からお年寄りが出てきて、車を運転していたまだ若いお兄さんと会話していました。様子を見ていると、いろいろある中から豆腐屋さんのプリンを2つ買われていました。今時、巡回販売のお豆腐屋さんがいらっしゃるのか。懐かしいなと思いました。そうですね、昼間家に居る方といえば、大半はお年寄りです。定期的に売りに来てくれるお豆腐屋さんを待っているのかもしれません。そのプリンを買われたお年寄りは、一人暮らしだそうです。そういえば、以前は魚屋さんや八百屋さんも、トラックで販売に来ていました。それが、結構新鮮で良かったことを覚えています。巡回販売車!これからはこれがいいかも・・・・・・
2011/03/10
青木 とよ子
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市民農園
 本年度の市民農園借用の手続きが遅れてしまったため、何年も続けて養ってきた土地、を使えなくなってしまった方の話をお聞きしました。農薬を使いたくないので、藁や枯れ葉を入れて、土を柔らかく改良してきたとのことでした。それほど土に親しんだ方でした。なんとも寂しいことでしょう。この農園は、農業用水があり、駐車スペースもあるので人気があるようです。他の市民農園も紹介されたそうですが、そこは用水がないため、水を運ばなければならないとのことでした。そもそも、市民農園は1年契約であるため、自分の土地として継続することができません。それを承知で借りているとは思うのですが
何とかならないものか、できれば長期で借りたい・・・・・・そもそも、市役所の中で市民農園の管轄は、市民生活課がやっており、申し込みは市民生活課へ行きます。なぜ、農政課でないの?世間では、畑を耕す人がなく荒廃している土地がたくさんあるのに、そうかと思えば、小さくていいから、畑を借りたいと思っている人がいるのに。この矛盾を解決するのは、農政課?いやいやJA?、とにかく両者の仲介役(コーディネーター)が必要です。どこかに、個人的に貸してくださる方いませんか?
2011/02/26
青木 とよ子
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子どもの権利
「子どもの権利とは 」 と題した、荒牧重人氏の講演会がありました。子どもの権利の基本はいのちの権利、そして成長発達する権利である。子どもを主体とする権利条例の制定にむけて大変有意義な講演でした。この中で、印象的でしたのは、子どもが、いちばん関心のあることは、友達関係であること。それなのに、学校での、いじめの問題は、ここ30年変わっていないことでした。いじめをした側への取り締まりは強化しても、いじめを受けた側の救済や、立ち直りへの解決策は遅れているとのことでした。いじめは、大人になってもトラウマとして社会生活に影響を与えています。この講演後、偶然にもお子さんが不登校で悩んでいるお母さんと話をする機会がありました。やはり、いじめが原因でした。子どもの権利として、この問題を解決するために、学校での対応が、とても重要であると感じました。
2011/02/22
青木 とよ子
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ありがとう!浅間温泉国際スケートセンター
昭和44年11月29日オープンした浅間温泉国際スケートセンターが、41年の時を経て、大勢の方に惜しまれながら幕を閉じました。今日は、さよならイベントとしてとん汁サービスや氷上レクリェーションがあり、キャラクターが花を添えました。私も、親子でお世話になったスケートセンターなので子供を連れて行きました。本日だけの入場者は、2243人だったそうで、とても賑やかでした。3時半に滑走終了となり、その後関係者だけで、松本スケート協会主催のセレモニーが行われました。昭和45年には国体があり、札幌オリンピックの練習場として使われたこと、全日本選抜や、浅間選抜で世界新記録も生まれたこと、そして世界に羽ばたいた選手のことなど、多くの思い出が語られました。地元の高校、地元の大学で活躍し、今も朝日村で子供のスケート指導に活躍されている羽多野さんは、こんなに素晴らしいリンクが、こんな近くにあることを誇りに思っていたと、話されたことが印象でした。最後は、このスケートセンターの氷を作り続けてくれた方々の紹介とともに、20年近く製氷していただいた林謙一さんのあいさつがありました。「まさか、このような日がくるなんて・・・・」と、この氷を作るのに夜を徹して作業してくれた仲間の苦労などが語られ、涙ながらの言葉に私も、このセンターが残せなかった悔しさと申し訳なさで、胸がいっぱいになりました。関係者のみなさんの一生懸命だった姿のすばらしさを思い出せるよう・・・・
・・・「ありがとうスケセン」いつまでも心の中にいるよ・・・・・・・
2011/02/13
青木 とよ子
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